教員インタビュー

  • 上田紀行
  • 池上彰
  • 伊藤亜紗
  • 桑子敏雄

Noriyuki Ueda

上田紀行

 

学ぶことはあなたの世界を広げます。そしてあなた自身を深めます。

世界を展望する広い視野に立ち、自分自身の頭とハートから発する言葉で語れる人は、日本のどこでも、世界のどこでも通用する人です。そして未来を創り上げていく人です。

何もしないでも単位が取れる講義がいいと信じている人がいます。私自身も大学に理系で入学し、最初は先輩お勧めの「楽勝科目」ばかりを取りました。しかし、何も学ばず単位だけ取った人と、しっかり学んで何かを身につけた人、その差はあまりに大きいと気づき、それがひとつの転機になりました。

自分自身をほんとうに成長させるような場を目指して、ぜひ皆さんと一緒に取り組みましょう。

 

 

東工大生は頭が良い。でも……。

東工大生は頭が良くて、論理的に分析する力を持っています。その一方で、暗示力が強い。最近よく聞くのは「私はコミュ障なので」という言葉です。コミュニケーション障害、つまり、他人とのコミュニケーションが苦手だと、思い込んでいるのです。でも、頭が良くて論理的で、つまり、コミュニケーション能力はあるのです。問題は、それが開花していないことです。

開花していない理由の一つは、話す内容を持っていないことです。話すことがあって一生懸命話していれば、多少その技術が欠けていても「こいつの話は面白いぞ」と思われて、聞いてもらえます。外国語で話すときは特にそうでしょう。下手でも内容があれば会話は成立します。話せず、コミュニケーションできないのは、話すべき内容を持っていないからです。

話すべき内容がない人ばかりが集まると、感性を刺激するような会話がなくなり、話す内容は、「どうやったら簡単に単位が取れるか」といった合理性にもとづいたものばかりになってしまいます。私自身もそういう学生だったのでよくわかりますが、しかし、合理性ばかりを追い求めることは、自分を生きにくくします。

 

効率を追い求めると、生きにくくなる。

私は、試験ともなれば、最小の努力で最大の点を得ることが一番良いと思っている学生でした。ところが、効率ばかりを追い求めてきたので、大学入試では、苦手なはずの数学でもいい点数を取れて理系学部に進め、それがその後の自分を苦しめました。だから文系に転じたわけですが、その過程で人と出会ったり旅に出たり、音楽やオペラに触れ、合理では割り切れないものに触れたことで、世界が広がり、生きやすくなったと感じました。もちろん、すべての東工大生が私のような生きにくさに対面するとは思いませんし、全員に対して、文転をして私のような人生を送れとは言えません。ですから若干お節介ではありますが、広い世の中を知ることは、自分が自由な存在であることを気づかせてくれ、今の自分は、数あるオプションの中から主体的に選んだ物であると実感させてくれます。人生を主体的に切り開いていくのが、人間です。

教養は、そのために必要なものです。教養とは、生きる力を与える知のあり方です。

 

面白い映画は、つまらない映画を見ないとみつからない。

教えていて嬉しいのは、学生が、自分で考えるようになったのが見えたときです。学生は、つまりかつての私は、正解が一つどこかにあり、そこに到達すればいいと思っています。しかし実際は、あなたにとっての正解が、私にとっての正解とは限らないし、その逆もたくさんあります。まず、それに気づくことが自分で考えるきっかけになります。

たとえば「面白い映画を教えてください」というのは、ただ一つの正解を求めるのと同じことです。でも、何が面白い映画なのかを決めるのは自分自身なので、その前に、つまらない映画も含めて何本も見る必要があります。つまらない映画を見るのは時間の無駄かも知れませんが、でも、無駄がないと、面白い映画は選べません。
ですから学生には、強制的に見させます。本なら読ませます。そしてレポートを書かせます。

 

強制こそが慈悲の心だと思う、その理由。

かつては、自主的に見たり読んだりして欲しい、課題を出すのは権力の悪用だと思っていましたが、今は、強制こそが慈悲の心だと思っています。というのも、私自身が、強制されないと、世界を広げようとしなかったからです。今でもそうです。仕事の予定を入れたり、人と約束をしたりすれば、そのために勉強をします。ある人をテーマに話すとなれば、その人の本を読みます。すると、「なんだ、面白いじゃん」と気付き、もっと読もうと思うようになります。

 

怠惰で鈍感な自分を外へ連れ出せ!

しかし、そういったきっかけがなければ、パジャマのままパソコンの前に座り続け、夕方になったら酒を飲んで寝てしまうような怠惰な人間で、また、そのままでは何も得られない、感性が鈍いことを自覚してもいるので、自分をいろいろなところに連れ出すようにしているのです。アメリカやイギリスの大学で、教養教育の現場を視察して感じたことは、まずは、圧倒的な予算の違いです。しかし、予算が少ないから大教室での講義で構わないとは言えません。何かテクニックを考える必要があります。これは、東工大に限った話ではないでしょう。

それから、愛校心が違います。視察をした大学に比べると、東工大を含めた日本の学生には愛校心が感じられません。愛校心を抱くには、この大学という場を面白くし、盛り上げるのは自分自身だという自覚が必要でしょう。学生プロジェクトはそのためにあるので、もっと多くの学生に参加して欲しいですし、学校側も機会を増やすべきでしょう。

 

東工大生よ、スポットライトを意識せよ。

東工大自体が、東工大を見誤っています。産業界だけでなく、日本全体に影響力があるのに、それを自覚していないが故にどうあるべきかを決めかねているのです。これでは、専門分野が強いだけに、たこつぼ化しかねません。

一方で残念ながら、世の中の大半の人は、東工大を知りません。特に西日本ではそうです。それは東工大の学生が、首都圏の高校出身者に偏っているからです。私は、東工大に来る前は愛媛大学にいましたが、移るにあたって「私立に行くんだね」と言われたことを覚えています。そういった世の中に対して東工大をどう見せていくか、どう伝えていくかは、学生の教育にも密接に関わる部分です。東工大の学生の多くは、おしゃれに無頓着です。それは、自分が舞台に立っている、見られているという意識がないからです。ここが劇場だとして、舞台に立ち、スポットライトを浴びる側なのだとしたら、毎日同じようなチェックのシャツは着ないはずです。自分は暗い観客席にいると思っているから、どう見られているかを考えないのです。自分たちが注目されている舞台に立っているという自覚があれば、学生も自ずと変わるでしょう。

 

 

 

 

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